Reikibudo’s blog

オーストラリア バス旅 超意識の旅  現在地:NSW州 Mount Warning

そう言えば死にかけた話 前編

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

あなたは

あの時死んでても
おかしくなかったなぁ


ってことはありますか?



この前、息子の誕生日で、

そう言えば出産の時に
死にかけたなぁ

と思い出したことがあり、

そこから学びがあったので

ちょっとお話しするよ。


本日は前編。

 


*********

 

10年前の初めての出産の時、

かかりつけの病院の麻酔科医が
週末で不在のため、


明け方4時ごろ私は夫と共に

1時間半離れた街まで

自家用車で行かなければいけなくなった。


この時点で陣痛は5分おき。

 

夫が眠気のために中央分離帯

はみ出がちなのと

陣痛の痛みで

もうすでに生きた心地はしない。

対向車に2回クラクションをならされた。

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隣町の病院に着いた頃には

痛みで意識朦朧。

 


無痛分娩を希望していたのも

間に合わずで、


笑気ガスで

痛みを紛らわせるはこびになった。

 

 

今思えばこれが良くなかった。



ガスのせいで吐き気が出たのと、

痛みが紛らわされるため、

押し出す意欲がなくなった。

 

 

だけど痛みはどんどん強くなり、

体力もその都度減り、

最後には

産もうが死のうが

もうどうでもいいや・・・


という域に達した。




この時、

不思議なことが起こった。

あと1回で良いから

本気で押し出しなさい

と誰かに言われた気がした。


同じタイミングで

ドクターが吸引器具を取り付けたらしく、

渾身の最後のプッシュと共に

子供を引っ張り出した。


それと同時に

私は1200ccの血液と気を失った(らしい)


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ドクターが慌てふためき

輸血の準備に走る中、

 

 

私は意識を取り戻し、

顔色も良く平然と子供を抱いた(らしい)

 


私の体格の場合、

普通1200ccの出血で

命の危険性があると言われている。

 

 

私も1200ccを失ったが

どういうわけか顔色がいいので

ドクターは

輸血の準備だけはして、

私や夫に出血量を伝えず、

点滴に変えようとしたそうだ。


だけど、普通に初めての出産が

終わったものだと思った私は、

 


何故か怪訝な目で私を見つめる

医師と看護師を横目に

普通に歩いて

シャワーと着替えを済ませ

ご飯をしっかり食べ、



その12時間後には

出産を済ませた隣町病院を退院し、

家の近くのかかりつけ病院まで

運転して戻った。

 

 

かかりつけ病院の

担当助産師さんは

隣町病院から送られてきた

私の経過書類を読んで

ひっくり返りそうになった(らしい)

 

私は個室で

5日間の入院を勧められ


入院費用無料で

上げ膳据え膳の快適生活を

送ることができた。



ただ一つ、

トイレの回数と量をしつこい程聞かれ、


そう言えば出産後3日間ほど


まともにトイレに行ってなかった

ことを思い出したが


その理由が

失血量と関係あるだなんて

予想だにしなかった。

 

 

 

そして退院の日・・・


助産師さんにことの次第を伺い、

今度は私がひっくり返りそうに

なったわけだが

 

頭で考えてもわからないものは

わからないのでつい忘れていた。



それが・・・10年経った今、

このことについて思い当たる節が

めっちゃあるので

 

この謎解きを

次回の記事でしようと思います。


ではねー

 

 

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