Reikibudo’s blog

オーストラリア バス旅 超意識の旅  現在地:NSW州 Mount Warning

マウンティングマウンテンの話。

先に書いておくが、

私はひねくれ者である。

親類には冷酷人間と呼ばれてきた。

※オーストラリアでエネルギーワークを始めてからは

もう言われなくなったのだが

 

褒められても誰かに高評価を受けても嬉しくない。

いやむしろ鬱陶しいし素直じゃないとも思う。

 

そんな心理についてふと考察するに至ったので

今回はその件について記事にしていこうと思う。

 

 

1:
褒め褒めの先にある使役とコントロール

 

小さい頃から

人から褒められると、

褒められた先に嫌なことが待ってるんじゃないかと

疑ってかかる癖があった。

 

 

実際にあった話を例にすると

 

あぁ〜ひろこちゃんがお皿洗いしてくれたら

本当に綺麗になった〜

本当にお皿洗うのが上手ね!

 

といつも愚痴と被害妄想の激しい母に

褒められたとする。

すると、まずどう感じるかというと

 

はぁ?嘘ばっかし。

 

と感じる。

 

そしてその言葉の裏側に

独自の理論が組み上がってくる。

 

母は、これから私を

皿洗いというお役目に縛り付けるために

思ってもいない耳障りのいいことを言って

率先して私が皿を洗うように仕向けている。

 

とりあえず褒めれさえすれば

教育にもいいし

あとは万々歳!思っている。

 

とこう思うわけだ。

待っているのは

ただの使役。

 

 

すると、その褒め言葉に反発して

二度と皿洗いなんかするもんか!

と心に決める。

 

なんたるひねくれ者w

 

だが、こういう態度を顕にすると、

次に待っているのは

女の子なんだからやりなさいという

身も蓋もない強制的皿洗い命令なのである。

 

母は褒めることは効果がないと悟り、

父の虎の威を借る狐となって

ヒステリー気味に皿洗いを私に命じるのである。

 

結果、10年以上に渡り

家族と親戚(家族経営の事業のため)の

膨大な食器を洗い続ける羽目になった。

 

素直に褒め言葉を受け取れる人は

こんな嫌な思いはしないのだろうと

皿を洗いながら思いを馳せた。

 

だが同時に、本音と建前の乖離が激しい

わざとらしい褒め褒め攻撃よりも

洗えっ!と言われる方が

まだストレートで理に叶うとも思っていた。

 

2:
見えないマウンティングマウンテン

 

学生時代はいろんな表彰を受けた。

書、書き取り、絵画、音楽

ホームルームで担任に褒められる、

内容のいい通知表をもらうなど

 

こんな風に書くと

ただの過去の栄光自慢にしか見えないのだが、

表彰されても特に嬉しくもなく、

 

逆に褒める人のことを何様?

と思うようになっていった。

 

例えばホームルームに担任に褒められる。

みんなの前で

というのがポイントだ。

 

次の学級委員もひろこさんで決まりね!

 

という使役がまた待っているし、

 

褒められる出来事の立役者は

本当は私じゃないのにも関わらず

先生の勘違いで

なぜか私の方が褒められる時もたまにあり、

 

そんな時はクラスメイトから

ヒソヒソ声が聞こえる。

あからさまな嫌味も聞こえる。

 

こうなると本当に手に負えない。

 

先生が褒めるせいで私が苦しい

 

と言うことができたらよかったが

若い時分はそんな気持ちも

言語化できなかった。

 

ここまでくると

ガラスの十代独特の

自分の憐憫が入ってくる。

 

世間一般の人々は、

他人からの評価や

お褒めの言葉や

愛の言葉をあんなに欲しがっているのに

それが貰える私は喜べない。

本当に素直じゃない。

どこかおかしいんじゃないだろうか?

 

とも感じていた。

 

また、

先にも書いたように

絵画や書き取りの表彰ともなると、

誰に褒められているのかわからない。

 

褒める人の顔が見えないと

気持ちの持って行き先が見つからなくて

結構困惑する。

 

感覚を言語化すると、こうなる。

 

盆地の中に小さな私がいて

周りの仄暗い山々から

褒め褒め評価が降ってくる。

 

その評価を受けたならば、

その道をもっともっと極めて

頑張り続けなければいけない。

 

山にお前は誰かと尋ねても

返事はなく、

気味の悪い褒め褒めの言葉しか

返ってこない。

 

そして仄暗い山はさらに高く

さらに幅も広がり、

私のいる盆地の面積がさらに

狭くなるような感覚になるのだ。

 

目に見えない、

あるいは高いところから

褒め褒めハラスメントをしてくる奴は

一体誰なんだ・・・

何様なんだ・・・

 

そしてそれに乗っかって

褒めてくる校長、担任、

周りの大人、

人を褒めることができる私って偉い!感を

ぷんぷん漂わせながら

言葉をかけてくるメンツで気持ち悪くなる。

 

とこうなるわけだ。

 

3:
マウンティングマウンテンの正体とエネルギー泥棒

 

時は過ぎ、

私は救急隊員になった。

 

救急隊員の仕事は

急病や怪我に見舞われた

市民の生命身体財産を守ること。

 

だから、

心肺停止事案が出ようものならば

現場にいち早く駆けつけて蘇生させ

いち早く病院へ運び、

あわよくば予後が良好な状態で退院してもらう

 

というのが理想の仕事の流れだ。

 

そんな中、

全てのタイミングがよろしく

心肺蘇生に成功し

患者さんが無事社会復帰したところを

目の当たりにしたこともあった。

 

そして、

ご本人が消防署にご来庁し

私たちにお礼の気持ちを

伝えてくれることも経験した。

 

その時に、はたと気づいた。

 

褒められるのは

苦手だけれども

ご本人に

お礼を言われるのは

素直に嬉しい

 

と。

 

この発見をしたときは

自分の中に

わりかし人間らしいところを見つけて

嬉しかった。

 

思い返せば、

小さい時からお礼を言われる場面は

数多くあったとは思うが

褒め褒めの呪いに縛られすぎて

 

人々から発せられる小さなお礼に

あまり気づいてなかったように思うし

 

お礼を言われるために

お礼を言われるようなことを

行っていないから〜!という感覚もあった。

 

だから、

救急隊員になって初めて

誰かの命を守った!

という人生の一大事に対して

お礼を言われる経験をするまで

気がつかなかったのかもしれない。

 

逆に言うと、そこまでしないと

お礼に気付けない私も鈍いもんだ。

 

ところがだ。

 

救命成功事案!と題して

救命成功の度に

市長表彰が行われることになると

私は態度を一変させた。

 

もう私と患者さんの間で

エネルギー的なやりとりは完結している。

それはこんなやりとりだ。

 

一所懸命助けようと尽くしました

ありがとう!おかげで助かりました

 

これだけでいい。

エネルギーのやりとりは

ものすごくシンプルだ。

 

シンプル・イズ・ベスト なのだ。

にもかかわらず、市長の横槍が入る。

 

貴重な非番の数時間を

犠牲にさせてまで

市庁舎に呼び出してまで

わざわざ、表彰してくるのである。

 

その表彰式には私的に

ものすごくイヤーなエネルギーが漂っている。

 

俺の組織の傘下の救急隊員である

ひろことその一味が

救命に成功しましてぇ

 

いやぁ俺の指導がいいからかなぁ

 

代表して俺が

上に立つものとして表彰してあげまーす。

 

市民の皆さんも

俺の傘下の救急隊員を見よ!

 

そしてもしもの時はこんな風に

助けてもらえるんだから

 

文句言わずに

税金払えよ!

 

とも言わんばかりのエネルギーが

辺り一面に漂い

 

私たち救急小隊⇄患者さんで

スッキリエネルギーが回ってるにも関わらず

 

そこにマウンティングマウンテンを

被せてくるんだよなー

 

もうトンネル掘るのに

私手一杯。

 

突如そびえたつマウンティングマウンテン

 

もう、これね、

エネルギー泥棒でしかないんですよ。

 

市長とか話したこともないし

指導されたこともないし知らんわ。

 

この件に関してあんたの栄光は

どこにもない!

 

なのに、何自分の手柄みたいに

超上から目線で表彰とかしやがるわけ?

 

ってなるのさ。

 

こういう話を小隊長にすると、

 

表彰されて嬉しい人の方が多いと思うし

まぁこの表彰で

救急隊員全体の士気が高まると

いいと思うよ。

 

と言う返事が返ってきたが

全く納得いかねぇ。

 

せめて、

 

この表彰を知ってくれた市民が

道路のど真ん中に

救急車を停めざるを得ない時なんかに

救急車の活動について理解を示してくれて

文句言ってこないようになるならいいよね。

 

と言ってもらった方が

納得できた気がする。

 

ただそれでもコスパ悪いよねー

 

お疲れ隊員の非番時間を削ってしか

広報する手段がないって言うのは

広報室の能力不足。

このお役所仕事がっ

 

確か宮崎駿監督も

あんまり表彰好きじゃないって話だけど

多分そういうことかもしれない。

庵野秀明監督は嬉しそうに表彰されに行くらしいw

 

 

4:
〇〇賞が嫌いな大人はエネルギーを見てる

 

こんなことを経験しながらも

オーストラリアに来て、表彰とは

ほぼ無縁の世界に来たのが

ストレスフリーでとても良き。

 

だが、ネット社会になった今

日本人と関わると、とにかく

「〇〇賞」が多くてまた辟易するのよ。

 

起業家になってから

起業塾のようなところに入ったんだけど、

もうねぇ、表彰ラッシュな訳。

 

で、上記の理由でやっぱり嫌なわけ。

そんな場所に居合わせた時の私の顔、

多分ちーんってなってるよ。

 

話は変わるけど

ミスコンとかも嫌なわけ。

 

美しさの基準って一握りの人間が

先導したり決めるものじゃないだろ?

 

それぞれに美しいの基準があって

いいじゃないか。

 

とは言うものの、

ミスコンなんかを利用して

上り詰めてやろう!という参加者に対して

不思議と嫌悪感はないんだなぁ。

 

勝ちにいけ!取りに行け!

と思うから。

 

もう、こんな人たちって

聳え立つマウンティングマウンテンに

意気揚々と狩りに行って

 

そこにいる獲物

ぜーんぶ狩ってやる

 

っていうハンター精神が潔し。

 

マウンティングマウンテン中を

ぜーんぶ山狩りして

ハゲ山にしてちょうだい!

って感じよね。

 

ここまで書いてふと思ったが

要は私はこの世に蔓延る

マウンティングマウンテンに敏感すぎて

狩りする勇気もなく

ただグジグジ言っていたという話なのかw

 

ま、確かに狩りより

釣りや野菜育てる方が性に合ってるわ。

 

ここで無理やりまとめますと・・・

この記事が

表彰を辞退したり、

褒められることそのものが苦手〜

っていうのが理解できない人へ、

 

それはこんな気持ちなんだよと

ちょっとでも伝わるといいなと思って

書いてみました。

 

救急隊員時代のおすすめ記事はこちら

reikibudo.hatenablog.com

 

 

じゃーのー

 

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