Reikibudo’s blog

オーストラリア バス旅 超意識の旅  現在地:NSW州 Mount Warning

聖書が難解です、という質問がきた。

はじめに断っておくが、

私は聖書研究家でも

キリスト教徒でもない。

 

精神世界とエネルギーが好きな

ただのいちオタクである。

 

キリスト教のみならず

宗教の世界観や芸術は大好きだ。

仏教では真言密教の世界観が好きだ。

 

イスラム教に関してはよくわからない。

オーストラリアに来て早々、

アフガニスタン人の友人ができた際に

そのお祈りを見せてもらったが、

それがとても美しかったという、そこしか記憶にない。

 

だから、

宗教の違いについて引用をしつつ

詳しい説明をせよと言われても

唸るしかない。

そんな程度である。

 

ここで今日長々と伝えることは

私の感覚で書いたものであり、

そこに対して突っ込まれても

どうしようもないことはご理解いただきたい。

 

Twitterのフォロワーさんから先日、

聖書が理解出来ない旨のご連絡があった。

 

生贄を捧げること、

生まれながらに人は原罪を背負っているということ、

キリスト教を信じていないと救われないということ、

世界一売れている本なのに

世界一理解している人が少なそうな本。

 

などという

なぜ???の塊だそうだ。

 

宗教の違いについて感じること

まず、宗教に関しては

宇宙の一つの根本的なベースがあり、

それが「愛❤️」なのだということは

なんとなくわかると思うが、

 

一つの根本的な「愛」に対して

その地域の暮らしや一般常識、

考え方によってある程度、

その地域での「愛」の概念が形成される。

 

そしてそれぞれの文化を背景として、

独自の解釈を追求していったものが

各種宗教の違いになったのだと思う。

 

原罪と分離と現代の悩みあるある

旧約聖書の中では

アダムとイブが禁断の知恵の実を食べ、

知恵をつけたということで、原罪を背負い

エデンの園から追放されてしまった。

 

これはどういうことかというと、

アダムとイブは実を食べるまでは

ありのままの環境を受け入れ、

あるがままに生活していた、

 

つまり、神=宇宙=創造主である自分

で生きていたのが、

 

禁断の実を食べることにより、

裸の自分を恥じるようになった。

 

つまり、

神=宇宙=想像主である自分自身の体に

「恥ずかしいものである」

というジャッジメントをした。

 

知恵=思考が生まれ、支配され

全てのものをジャッジするようになったということ。

 

そして、禁断の実を食べた責任を

アダムはイブのせい、

イブは蛇のせいにする。

 

あぁ分離。

 

ずれまくってる。

 

二人はこの世界の想像主であるという事を忘れ

そこから苦しみが生まれた。

 

イブ(女)は出産の苦しみを知り、

それでも男を求め、男に支配されることになり、

アダム(男)は苦しんで地から食物をとり、

土にかえる(死ぬ)

 

という苦しみだ。

 

これは、現代でも

宇宙と繋がって

自分が創造主であるということが

体感できてないうちは、

女性は「男」がいないと生きていけないという依存や

男性は働かないと、食べていけないという思考に

悩まされるということと全く同じではないか。

 

出産に関しては、

タントリックヒーリングでは

元々、出産は「オーガミックバース」というくらい

氣持ちの良い行為なのだそうだ。

 

それを、

思考で「苦しいもの」であると考える呪縛が、

禁断の実を食べたことで生まれ、

宇宙である子宮とその周辺にまつわる

生理的現象や行為が

卑猥なもの、穢れのあるものに

変わってしまったという点が

集合的無意識に放り込まれてしまった。

 

その状態で後々聖書を編纂してるもんだから

これが後の世まで綿綿と女性性を否定し、

聖書をさらに難解なものにしてしまっている

原因であるかもしれない。

 

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バベルの塔からみる分離と4つの福音書 

話は変わるが、

知恵をつけた人間は自然のありがたさを忘れ、

自分たちの思考でできた塔を

天=宇宙まで建設しようとする。

 

本当は、そんなことしなくても

宇宙と繋がれるのに。

宇宙の流れに逆行して、

ジタバタジタバタするという

象徴でもあると思う。

 

そんな事をするもんだから、

バベルの塔あたりで

人の言葉が一つの共通言語から

バラバラの言語に分離されていった。

 

常に思考で考え、

日本語の一つの言葉についても

それぞれの解釈が入り、

発信者の本来の意味を

誤解してしまうことなんかザラだ。

 

誤解をするだけでなく、

人に期待することも含まれているのではないか。

 

元々、純粋な愛のエネルギーで

言葉なくとも

テレパシー的な交流によって100%伝わることが

言葉の出現によって、

さらに難解なものになった。

 

そして、その言葉をさらに

別の言語にしてしまうことで

「自分と他人は別」

という圧倒的な感覚が

集合的無意識下に投げ込まれた。

 

新約聖書の中に、

エスキリストの生涯についても

「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ

と4つの福音書が存在し、

同じはずである出来事

(あるいはそれぞれのパラレル)の出来事を

それぞれの解釈で書いたものが

4つも存在しているというということが

その象徴であると感じている。

 

これが分離という原罪。

「罪」というと聞こえが悪いが、

要はそういう風にプログラムされてしまった

という解釈でも良いと思う。

 

その状態から抜け出すことが

救世主の出現と表現されたり、

悟りと言われたり、

昨今ではアセンションと言われたりする。

 

自分が創造主であるという自覚と

体感があれば、

救世主は他の誰かなのではなく、

自分自身の内側からくる意識なのだとわかる。

 

なので、

アセンションの時期については

その個人次第という解釈だ。

ゲート云々はあまり関係ない。

ただ、周囲にそういう人が多いと

その波動に共鳴して

意識が拡大していきやすいということは確か。

 

生贄と循環・引き寄せについて 

それから生贄について。

旧約聖書の時代背景として、

  • 中東である
  • 乾燥している
  • 砂だらけ
  • 塩いっぱい
  • 野菜の栽培に不適切
  • 乾燥に強い動物がいる
ということが挙げられる。
山と水に囲まれた日本とは大違いだという
認識がまず必要である。
 
日本でも、神さまや仏様に
農作物をお供えするという感覚で
旧約聖書の時代は
動物をお供えしていたという感覚だったのだろう。
 
ただ、それだけの違いであると思う。
 
今、自分の周りにある食べ物を
宇宙や、食物を育ててくれた地球に感謝しつつ、
その一部を捧げる=地に戻す=循環させる。
 
これは現代ではお金の引き寄せや循環に似ている。
お金に感謝し、
満たされた氣持ちで使うと
さらに入ってくるというシステム。
 
それを、
理由なんていいから、やっとけ的なノリで
「生贄を捧げなさい」
という表現になったのではないか。

 

ここまで説明すれば、

キリスト教を信じた者しか救われないという

ポイントも

聖書を編纂した後の人間の分離の象徴であり

そこを表しているということに過ぎない。

 

エスキリストと波動共鳴

エスキリストは

ジャッジメントという原罪を背負って

民のために磔刑で死ぬこと、

この生贄を捧げる行為を一切引き受けてくれた。

 

要は最後の晩餐で、

私を信じてついてくるなら、

私の波動に共鳴し、軽く生きられる

(=宇宙と同調しやすくなる。)

的な事を弟子たちに伝え、

 

その象徴が、波動を転写した

パンでありぶどう酒であるのだと私は思う。

波動共鳴することによって

弟子たちの中に

エスキリストのエネルギーが入る。

 

ちなみに、

エスキリストは

Follow Me

とは言ったが、

自分自身を神聖視せよとか

神と崇めろとか

そんなことは一切言っていない。

 

聖書が私に教えてくれたこと

このように、

宇宙の一つの根本的なベースである

「愛」というものは、

人の手が加えられるほどに

その人のエネルギーや

時代のエネルギーも吸って

シンプルな本質に

どんどん後付けデコレーションがひっついて

難解なものになってしまったという事を

聖書から私は感じ取っている。

(エネルギーの劣化ともいう)

 

だからと言って

これが悪いということではなく、

聖書があるから

私は分離に氣付けたということだ。

 

仏教や神道のように、

決まった聖典がないというものも、

それは純粋なエネルギーのまま

感じるだけで良いという利点はあるが、

文章化されていない分、

分離のエネルギーを

理解することには向いていない。

 

あなたはどんな解釈をするだろうか?

 

おわりに

今朝のコメントから

こんなに長い文章を書くとは

思ってもいなかったけれど、

聖書を見直すきっかけになったことに

感謝します。

 

 

それではまた!

今日も読んでくれてありがとう

 

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