Reikibudo’s blog

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完全燃焼 今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

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大正5年(1916年)1月10日。 

 


この日はうちの祖父が生まれた日。 

生きていれば102歳。

今日は激動の時代を生き抜き

10年前の自身の誕生日に92歳で亡くなった祖父の話をします。

 

 

 

 

祖父の人生は、 

一言で表現すると「波乱万丈」です。 

幾多の困難に遭遇するも、不屈の努力と精神力で 

不死鳥のように返り咲く、

いわば 形状記憶めがねのような人。 

 


亡くなる前、病室でぽつりぽつりと 

その人生について語ってくれました。 

 

 

富山県でコメ屋を営む家に生まれた祖父は、 

 

幼少期、米騒動にあう。 

 

コメの先物取引も大失敗し、実家が没落。 

親戚中に頭を下げて、借金。 

更に優しかった母親が亡くなり、親戚に預けられる。 

お約束どおり、 

親戚の家では火垂るの墓ばりのイジメを受け、 

みんなが夕食の膳を囲む最中、 

祖父は板張りの間の隅っこで正座。 

 


曰く、 

「ぎゅっと握った拳から血が出た」 

うーん痛そう。 

 

 

 

大正12年(1923年)祖父7歳の秋。 

関東大震災が起きる。 

高岡の浜辺で遊んでいた祖父は、 

タダならぬ揺れに驚き、近くにあった松の木にしがみつく。 

 


曰く、 

「たった7歳で死ぬかと思った」 

 

 

 

小学校を卒業後、時代は昭和に変わり、 

富山商業高校に入学。 

簿記をバッチリ覚え、 

放課後は生活費と妹の学費を稼ぐためにアルバイト。 

 


曰く、 

「労働は人生の根本」 

たしかに。 

 

 

 

高校卒業後、上京。 

世は世界的大不況の真っ只中で、

日本も満州事変や国連脱退 などなど激動の時代に突入。 

 

祖父は陸軍に志願し、 

近衛歩兵第1連隊配属となる。 

祖父はこれについて多くを語らない。 

 

なんかあったのかな?

 

とその後、 

ネットで日本史をお勉強した私は、 

じーちゃんが1936年の 

2・26事件の目撃者ではないかと強く疑う。 

 


近衛歩兵第1連隊と第3連隊の陸軍青年将校って書いてあるし…。 

翌日問い詰めても何も語らないところを鑑み、 

やっぱそうなんだと実感しました。 

 

 その後、第2次世界大戦で通信兵として中国戦線に参戦。 

 


軽く曰く、 

南京大虐殺とかなかったよ♪」 

・・・エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ? 

あなたがそうおっしゃるなら信じます。 

 

そして上海で終戦を迎え、 

ノー天気にご遊学気分で 

上海に疎開していた祖母と出会い結婚。 

祖父は上海のバンドにある横浜正金銀行で働き、 

祖母は妊娠(うちの叔母と父)。 

 

引き揚げ時には、限られた財産しか持って行けないから、 

祖父は、そこらへんにあった毛糸を片っ端から 

編みまくり、セーターやら靴下やらを 

ニットデザイナーばりに、かわいく製作。 

 


編み物上手の叔母曰く、 

「編み物の技は全部じーちゃんから教わった」 

器用ね(・∀・)チゴイネ! 

 

 

引き揚げ後、銀行から借金し、 

富山の薬売りならぬ、石鹸売りを開始。 

皮のつなぎを着用し、ご自慢バイク「リクオー」に跨り、 

県外まで出張、訪問販売。 

これが意外とあたってひと財産築く。 

 


曰く、 

「チリも積もれば山となる」 

 


とここで、結核感染。 

結核菌が脊椎に侵入し、カリエスを発病。 

30代で障害者となり、寝たきり生活が始まる。 

 

ところが、寝たきりでも仕事はできる!と 

石鹸販売に加え、内装会社を設立。 

これまた成功し、近所の土地を買い占める。 

 


曰く、 

「土地も囲碁もオセロも、角地(かどち)を取れ!」 

その通り。名言。 

 

 

そのころから、使用人が不穏な動きを見せ始める。 

祖父が不審に思ったそのとき、 

その使用人は、 

今で言う○億円の売り上げ金を持ち逃げ! 

当時の麻薬「ヒロポン」を大量購入しトンズラ。 

怒り狂った祖父は、 

寝たきりのベッドから跳ね起き、 

障害を克服。

見事社会復帰を遂げる。 

 


曰く 

「こん畜生ぶっ◯ろーすと何回も思った。」 

「商売において、他人は信用するな。 自分と金を信じろ」 

 

 

それから昭和後期に入り、私たち孫が生まれ、 

孫を小脇or肩に抱え公園やら 

ドライブやら色んなところに連れて行ってくれました。 

保育園のお迎えも毎日祖父。 

商売のほうはバブルにも流されることなく、 持論を展開し、

88歳まで会社のデスクに 

5つ玉ソロバン片手に座っていた祖父。 

 


曰く、 

「生涯現役よ!平日昼間からゲートボールなんか 

 している奴はさっさと死んでしまえ」 

 


私の初就職を何よりも喜んでくれて、 

「頑張って人助けしろ、自分を磨け」 

と言ってくれました。 

 


そして自分も心臓と肺を鍛えるために、 

6キロウォーキングをしていたじーちゃん。 

本当はレントゲンで肺が見えないくらい 

心臓が肥大していたのに。 

医者から、なんで生きているんですか? 

と尋ねられ、

「精神力です」 

と言い放った祖父。 

 

 

90歳を超えてからは、致死的不整脈から何度も復活。 

心電図は毎日VPC→ショートラン→VT。 

それでも大好物のポテチとチョコとビールとサイダーはやめず、 

医者に

「もう何でも好きなものを召し上がってください」

と言わせる 

 

 

 

2008年10月に入院してからは、年越しも危ういと言われていたのに 

これまた危篤から復活して、散歩にいけるくらいに回復。 

だいぶん体重も落ちて頬もこけてしまったけれど 

お正月を無事迎える。 

 

 

 

そして、2008年1月9日水曜日の夕方 

みんなから明日の誕生日のお祝いについて尋ねられ、 

「新しい入れ歯が欲しい」 

とのご希望。歯科医の予約を入れる。 

 

 

 

日付は変わって、いよいよ2008年1月10日 

92歳の誕生日を迎える。 

 


お祝いの言葉を聞いた1時すぎ、 

祖父の意識がなくなる。 

血圧がどんどん下がる。 

痰の吸引にも反応しなくなり、 

とうとう2時丁度に息をひきとりました。 

 

 

 

祖父は満92歳という稀にみる天寿を全うしました。 

看護師さんは、 

毎日悪態ついたり、 

わがまま言ってきた祖父にも 

やさしくお別れの言葉を言ってくださり、 

きれいな死に化粧をしていただきました。 

 


2時すぎに私にも連絡が入り、 

朝方、家に帰ってきた祖父に会いました。 

とても安らかな顔でした。 

祖父が飼っていたデブ猫2匹は、 

ずっと祖父の体の横で寝ていました。 

 


祖父は賑やかなことが大好きだったので、 

お通夜も近所迷惑ってくらいドンチャン騒ぎして 

好きだったおつまみを開けて 

みんなでいろんな思い出話をしてすごしました。 

 


でも、お葬式ってだめだね、 

もうあの毒舌と竹を割ったような 

豪快な物言いが聞けないと思うと、 

みんな号泣して、鼻水流しっぱなしで、 

終わった後、すんごい顔になってました。 

そこでお互いの顔を見てブフっと笑ってしまいました。 

多分、祖父がもう泣くなって言ってるんだな。 

 

  

出棺のとき、 

祖父愛用の5つ玉そろばんと 

孫の手と、囲碁雑誌の最新刊を棺に入れ、 

葉っぱでサイダーを飲ませてあげました。 

 


お骨を拾って、なんか残りが捨てられるのは 

もったいないと、 

いとこは、とう骨をそのまま丸ごと 

タオルに包んで持ち帰って 

じーちゃんが好きだった場所に撒くんだ

と言っていました。 

 

私も少しもらうことにしました。 

将来、家を建てたらそこに蒔くんだと心に決めたけども、

10年経った今でも家は建ってないので、まだもうちょっと待っててね。

 

誕生日に死ぬなんて、 

絶対狙ってやったことだな。 

じーちゃんらしいよ。完全燃焼だな。 

とその満身創痍からでる精神力に改めて感服しました。 

 

私の心の中は じーちゃんでいっぱいでした。 

ありがとう、じーちゃん。 

上の方から見ててね。

 

そして、

10年後の命日であった2018年1月10日、

私の人生を変える、ある出来事が起こりました。

 

一見人生最大のピンチと思える出来事で、

そのせいで借金が膨らんだし、白髪も増えるし、ご飯は食べられないし、

旦那もブチ切れるし、5キロも体重が減ったんだけれども、

 

今になって思うと、

その出来事があったおかげで、

私は引き寄せの法則にもレイキにも出会えたし、

仕事も見つかったし、自信もついて

今まで目を背けてきた問題をも直視し、

解決の道へと一歩を踏み出すことができました。

 

更にに言うと、

この出来事がなければ、

この先の人生つまらないものになってたと思う。

今は、膨らんだ借金以上の価値を、

私が得たスキルに見いだすことができます。

きっと神様と祖父からの人生最大のプレゼントだったに違いない。

ありがたいね。

 

 

自分が意識を変えられれば

今まで起こった全ての出来事に対して、

その裏側の意味を見出すことができる。

そして

解釈を変えることで過去を変えることができる。

それが愛

なんじゃないかなと偉っそ〜うに思います。

 

 

いつも読んでくれてありがとう!

 


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