Reikibudo’s blog

オーストラリア バス旅 超意識の旅  現在地:NSW州 Mount Warning

お肉のお話。

この間の陰謀論界隈〜の続き。

reikibudo.hatenablog.com

 

この記事で、

残務処理に入っていく

と言っているのは、

具体的には

残虐な畜産や生体販売、

動物実験の現状を

助長する行為を減らすということだ。

 

必要以上の肉食をやめ、

動物実験を行った製品を極力買わない

などの行為を考えている。

と書いた。

 

まずは、ここを書かないと話にならず、

ここで一旦記事を終わらせた。

 

実はこの話には続きがある。

 

肉食やめましょう

 

と簡単に片付けてしまうのも、違うからだ。

 

肉食否定で終わる、

肉を毛嫌いする事に走る人が出そうなので、

発信者としてそこは補足したい。

 

人間が歴史の中で

肉食をしてきた(せざるを得なかった)

背景を考えて欲しい。

 

聖書の舞台となった

中東では降水量も少なく、

アジアに比べて作物の採れ高も低い。

 

だから、

必要な栄養素を動物の肉に頼る。

 

日本でも、飢饉の地域では

山の猪や鹿、昆虫などを食べなければ

生きていけなかった。

こういう背景がある。

 

だから、

肉食を完全に否定してしまうことは

私はちょっと違うんじゃないかと思っている。

それは、肉食の動物を、生態系まで含めて

否定することになるかもしれない。

(勿論否定する段階は必要だが、そこで終わって欲しくないということ)

 

ちなみに私は、

ゆるーいベジタリアンである。

自分で作る分の食事は野菜中心だが、

他の人が作ってくれたり、

外食の時は、お肉が出てきても

食べている。

 

心からの「いただきます」を心がけている。

 

ただ、この「いただきます」も

お肉に対してだけでなく、

全ての食材や料理に関わった全ての人に対して。

 

動物の犠牲があり、

大地になった植物の恵みがあり

その食材に関わった全ての人があって

今の食事にありつける。

 

こういう氣持ちになると、

肉食を単純に否定することは、

感謝していないということにも

繋がらないだろうか?

 

動物も、植物も私たちも

全て繋がっている。

勿論、闇も光も繋がっている。

 

オーストラリアに来た当初、

アフガニスタンから亡命してきた一家と

知り合いになった。

 

彼らはイスラム教で、

お肉はお祈りをしながら屠ったものしか

口にしないので、

 

お肉はスーパーや肉屋で買わず、

必ず近隣のファームに連絡を取り、

お祈りを唱えながら

自分の手でヤギを屠っていた。

 

私もその現場に立ち会わせてもらった。

お父さんが、1頭を屠り、

その後、息子たちにお祈りと屠りかたを

セットで教えていた。

そうやって、命をいただくということを

次の世代につなげていく。

 

動物を虐殺するなんて・・・

と多くの人は感じるかもしれないが、

その現場で私にはそうは感じられなず、

不思議と氣持ち悪くなることもなかった。

 

イスラム教のことも、

それまではテロと女性軽視にしか

結びつかなかったけれど、

実はこんなにも愛に溢れる教義があるのだと

この時に初めて知った。

 

その当時は

スピリチュアルなことについては

何も知らなかったけれど、

そこにあったのは

先祖代々淡々と受け継がれてきた、

命のやりとりと感謝だった。

 

スーパーで野菜だけ買って

お肉を食べる人を攻撃する一部のビーガンの方が

よっぽど怖いとさえ感じた。

(ちなみに、ビーガン料理は大好きです)

 

この経験から、

私の肉食に対する考え方が変わった。

ヤギの肉は一度も食べたことはなかったが、

その場に居合わせたのも何かのご縁だろうと思い、

 

友人たちが食前のお祈りをする時、

一人日本語でいただきますと言って、

その後、皆でヤギのお肉を頂いた。

 

お祈りや感謝とは愛であるとしみじみ思った。

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この話のことを思い出すと、

こういう話の流れになる↓

 

よく言われるような、

悪魔的存在や宇宙人たちがいるならば、

そういう存在たちも元々は、

自分たちの星にいられない事情で地球に来て、

動物や人間などをいただいたり

していたのではないだろうか?

 

私がたまに読ませていただいている、

「精神世界の鉄人」さんのブログにも

闇の本質は愛であると時折書かれている。

tomaatlas.hateblo.jp

 

ただ、人間達も闇側も

前回書いたように、必要以上に

効率化を求め、欲に走って

サイコパス化してきたから

妙なことになっていると私は思う。

 

そこに氣付いた瞬間、

陰謀論界隈の昇華が始まるのではないかと思う。

 

勿論、今まで内観をしたことがない人は

否定の段階から入っていくといいと思う。

そのためには、

否定の発信をする人も一定数必要だ。

 

でも、否定するだけでは何も変わらない。

むしろ、嫌な波動を出すだけで

解決からは遠ざかっていく。

 

発信者でも「否定」に留まり続ける人がいるが、

善悪二元論のその奥にも世界があって、

望めば自分の意志で解決できることであると

ぜひ伝えて欲しいと思う。

 

留まるも、進むもあなた次第。

 

それではまた!

今日も読んでくれてありがとう。

 

 

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